2011年11月13日

幸せ


会社から二時間、立ちっぱなしの電車に揺

られ、自宅のある郊外の駅へたどり着いた。

ホームに降りたった人々とは、自宅での僅か

な休息を経て、翌朝には、顔を合わせる。


私は、改札を出た。

右へ曲がるとすぐにコンビニがある。

そこに、男はいた。

男は、家路を急ぐ人に次々声をかけている

が、人々は、避けるように通り過ぎていく。

チラシ配りか、と思った。

しかし、よく見ると、ヒゲが伸び、服も

汚れている。

ホームレス?


男は声をかけてきた。

「幸せを買わないか?」

「幸せ?」

「そう、幸せ。

今日だけ、五千円にまけておく。

このところ売れなくて、昨日から何

も食べていない」

男は『おふだ』のようなものをヒラヒラさ

せている。

私は人助けのつもりで

「これで美味しいものでも食べてよ」

と、五千円を渡した。

男は、何度も頭を下げ、『おふだ』を手渡しなが

ら、有効期間は一年だから、と言った。

有効期間かぁ、

私は、おかしく思いながら、『おふだ』を

財布に入れた。

そのまま『おふだ』のことは忘れた。



一年後、その日も二時間かけて、自宅のあ

る郊外の駅に着いた。

改札を出ると、見覚えのある男がいた。

「どうだった。幸せな一年だっただろう」

「いや、一年前と何も変わっていない」

「幸せは目には見えない。心で感じるだけ

だ。とにかく、去年は『おふだ』を買っても

らって助かったよ。

おかげで美味しいものが食べられた。

今年も五千円でいい。

今日から一年、また幸せに暮らせる」


ふざけるな。

私は、即座に断った。

『おふだ』などと馬鹿なことを言わず、お

金に困っています、と正直に言ってきたなら

考えないでもなかったが・・・。

それでもしつこく買えといい、最後には、

来年もここにいるから、と言った。

来年だって買うつもりはない。

財布の中の一年前の「おふだ」は、有効期

間も過ぎたことだし、近くの木の枝に結んだ。

 ん?

 これは、おみくじ?

 まあ、どうでもいい。



それから間もなくして、突然、私の昇進が

決まった。妻はサッカーくじで六億円を当て、

息子は都心の超難関高校に合格した。

去年、五千円で買ったのは、不幸せだった

らしい。

昇進のお陰で忙しさは増したが、格段に年

収も増えた。通勤や息子の通学時間も考え、

都心に億ションを買った。

仕事は更に忙しくなった。

深夜帰宅の早朝出勤は当たり前になった。

妻は、近くに話し相手がいない、空気が悪

くて息子が喘息気味だ、などとぼやくように

なった。 

昨日も妻が、息子が学校を休みがちだ、と言うので、

それはお前の責任だ、と大声をだしてしまった。

妻は、ただ泣くばかりだった。



欲しいものを手に入れれば幸せになれると

信じていた。仕事の成功と都心の億ション、

そして家族。みんな手に入れたのに。



結局、私は体を壊し仕事を辞めた。

億ションを売り、自宅のあった郊外へ戻った。

最近は、妻と、近所の農家へ手伝いにいっ

ている。収入は減ったが、食べきれないほど

の野菜が無料で手に入る。

息子は地元の高校へ編入した。昔の級友達

は息子を温かく迎えてくれた。喘息の発作も

収まっている。



そして、あの日から一年。

郊外の駅は、何も変わっていない。

男が立っていたのも、あの時と同じコンビ

ニの前だった。

「『おふだ』、今年も五千円でいいのかな?」

私は男に尋ねた。

男は優しく微笑むと

「『おふだ』はもう必要ないでしょう」

と言って、指を指した。

そこには、手を振る妻と息子の笑顔があった。

posted by saru at 22:55| Comment(0) | ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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